黒毛和牛の歴史
実は黒毛和牛は混合種
自分たちのルーツについて、誰でも一度は考えてみたことがあるのではないでしょうか。代々守り継がれるような名家に生まれた人ならば、もしかしたら家系図があって、自分たちのご先祖様にどんな人がいるのか調べることができるかもしれませんが、ごくごく普通の一般家庭に生まれた多くの人たちにとって、それを調べるのは容易いことではありません。
でもわからないからこそ、もしかしたら教科書に載っているような重要人物が祖先にいるかもしれないし、遠いご先祖のどなたかが外国人と結婚していて、自分のなかにわずかでも異国の血が流れているかもしれない…などという空想ができるのかもしれません。
高級なお肉の代表である和牛は、その名前から生粋の日本人ならぬ日本牛(?)と想像される方が多いと思います。特に黒毛和牛は、黒髪の生粋の日本人のような…というイメージが強いのではないのでしょうか。ですが実際のところ、黒毛和牛は日本の在来種と外国の品種を掛け合わせた混血種であることが殆どです。
牛肉の始まりは縄文時代から
和牛には黒毛和種、褐毛和種、短角和種、無角和種の4種類いますが、それぞれ誕生した土地、年代、経緯などすべて異なります。
そもそも牛が野生で生活していた頃、牛は群れで生活し、強い雄牛がリーダーとなって群れを守っていました。1万5千年前のそんな様子がフランスの洞窟に壁画で残っています。温帯の草原や森林などに住んでいましたが、やがて仔牛が狩られ家畜化されました。日本では縄文時代から弥生時代のころに家畜化が始まったとされていて、その証拠に牛の骨がたくさん発掘されています。
また、弥生時代の貝塚から牛をはじめ猪、鹿、野ウサギなどの肉を食べていたという確かな出土例もあるため、日本人はこのころから牛肉を食べ始めたのではないかと言われています。
また日本書紀、続日本書記には牛や馬などの肉を食べることを禁止する令が出ているため、弥生時代から奈良時代の千年ほど、牛肉は食されていたのではないか…と推測されています。
文明開化と牛肉解禁
その後仏教が定着するとともに戒律によって殺生を禁じられたため、牛は公に食されることはなく、主に農耕や運搬などの役畜として飼育されてきました。やがて明治時代に入り、キリスト教の布教が解禁され外国人が入国するとともに、特に都市部において牛肉の需要が高まります。明治5年には明治天皇が牛肉を食したという記録も残されています。
そして明治33年、農商務省はエアシャー種、ブラウン・スイス種、シンメンタール種などを輸入して和牛に交配しました。その後改良を重ね、昭和12年には「黒毛和種」という名称で認定されました。ちなみに現在登録されている黒毛和種の99、99%が兵庫県香美町の小代(おじろ)地区で飼育されていた一頭の但馬牛で種雄牛である「田尻号」を共通の祖先にしていると、社団法人全国和牛登録協会によって発表されました。
私たちが食している黒毛和牛はクォーターならぬワンエイス、ワンシックスティーンス…おそらくはもっと遡らなくてはならないのかもしれませんが、純粋な日本の血だけではないということだけは明確なのです。